「インプット」の大いなる誤解  

「インプット」の大いなる誤解

インプット」の大いなる誤解

日本で「インプット」と言うと、それは暗記すること、文法を理解すること、もしくはその全てを脳内に集積することと認識しているかもしれません。日本でいうと「入力」なのでそれも間違いではないかもしれませんが、第2言語(ここでは英語ですが)学習においてはインプットは違う意味を成します。

言語学習で言う「インプット」とはコミュニケーションとしての英語に触れることを意味します。どんな小さなものでも英語に触れたらそれは「インプット」です。しかしそれはあくまでも英語との接触を意味し、全てを理解して身に付けるということではないです。

「インプット」されたら、次は「インテイク」です。

「インプット」で注意深く読み聞きする過程で、そこに気が付いたことを取り込んでいくことです。ここの「インテイク」のことを「インプット」と言っている方が多いのではないでしょうか。

上の空で全く聞いていなかったり、意識を向けていないとそれは単なる「インプット」であり、「インテイク」は起きていない状態となります。また、決して「英語のシャワー」で英語が身に付くことはあり得ません。

また全てを理解していないといけない!ということではありません。未知の単語や文法が含まれているから100%理解ができたら、そこには新しく学ぶ要素が含まれていないということを意味します。全てを完璧に理解しようとしなくて大丈夫です。

「インテイク」がされたら次のプロセスは、頭のなかで蓄積されたものを脳内整理し、再構築、統合化されていきます。この過程で忘れられた情報も多くあり、図の通り、「統合化」された量は「インテイク」された量よりも下回るものです。

この「統合化」されたものが自らの言葉としてアウトプットする源泉となります。

インプット → インテイク → 再構築(統合化)→ アウトプット

 

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